子どもを中心に老若男女どなたでも参加OKの子ども食堂。4月より、第3水曜日フードパントリー(食材無料配布事業)のみ開催中☆

子ども食堂を運営して気付いたこと

 子ども食堂のように「善意」や「支援」を基盤にした活動には、確かに“優しさ”だけでなく“打算的な関わり”も集まる傾向があります。
 子ども食堂ハラクッチーナを運営していての実体験と社会的背景、さらに研究知見も交えて見ていきたいと思います。


善意の場に集まる「利他」と「利己」

子ども食堂を運営していると、心からの善意に出会うことがたくさんあります。
食材を届けてくださる方、寄付をしてくださる方…。
この活動の根底にあるのは「誰かのために」という気持ちで、それが集まったときの場の温かさは、言葉にしきれないものがあります。

けれど同時に、もうひとつの現実も見えてきます。
それは、「自分の利益のために、この場に関わる人たちもいる」ということです。

こうした現象を直接表す一般的な単語は少ないのですが、以下のような概念や用語が近いかもしれません

1. 便乗主義(フリーライダー)

公共的な活動に対して、自らは大きく貢献しないのに、その成果や恩恵だけを受け取ろうとする人々を指します。
→ 例:「寄付者リストには名前を載せたがるけど、実際には…」


2. ソーシャルウォッシング(social washing)

企業や個人が、本質的な社会貢献よりも「善行アピール」を目的に活動に関与する行為。
→ 例:「うちは子ども食堂を応援しています!」とPRしたいだけの関与。


3. 偽善(hypocrisy)

道徳的・善意的な行為のように見せかけながら、実際は自己利益が主目的である状態。


4. 利他を装った利己(隠れ利己主義)

表面上は他者のためと言いつつ、実際には自分の評価、名声、利益のために行動する人の特徴です。


5. グッドウィル・エクスプロイテーション(善意の搾取)

逆に、活動側がボランティアや寄付者の善意を無意識に利用してしまう場合にも使われる概念ですが、「善意の場に群がる自己利益の集団」という文脈にも応用できます。


活動している立場としては、そうした“打算的関与”を見抜きつつも、排除せずにどう関わっていくのかか…というバランスが必要で、葛藤があります。


■ 善意の場は“磁場”になる

子ども食堂は、メディアや行政でも注目され、「いいことをしている場所」として認識されています。
それゆえ、善意だけでなく「評価されたい」「実績を作りたい」「政治的なアピールがしたい」といった“利己的な動機”で関わる人も少なくありません。

こうした現象は、「ソーシャルウォッシング偽善」といった言葉で語られることがあります。
表面的には支援を装いながら、実態は自己利益の追求…。
たとえば、名刺交換の際に「うちも子ども食堂を支援しています!」と強調されるが、実際の支援は年に1回の写真撮影だけ、というような例もあります。


■ フリーライダーと「善意の搾取」

経済学では、自分はコストを払わず、他人の努力の成果にただ乗りする人を**「フリーライダー」**と呼びます。
ボランティア活動の世界にも、このフリーライダー現象は見られます。
たとえば、地域貢献をアピールしたいがために、実際には何も手伝わずに看板だけ使いたがる団体や、助成金目当てに「協力したことにしてほしい」と言ってくる例もあります。

また、逆の視点でいえば、善意で関わっているボランティアを過度に依存的に使い続けてしまうことを、最近では「グッドウィル・エクスプロイテーション(善意の搾取)」とも呼びます。(ハラクッチーナでは継続的で依存的にボランティアを使ったことはありません。1回のみです。)
このように、利他と利己の境目はとても繊細で、支援の現場では常にそのバランスが問われています。


■ 研究でも指摘される「偽善の効用」

社会心理学の研究では、他者に対する善行が「純粋な利他性」だけでなく、「自己評価を高めるため」や「周囲の賞賛を得るため」に行われることがあると指摘されています(Batson et al., 1991)。
また、経済学者のジェームズ・アンドレオーニは、“ウォーム・グロー(warm glow)効果”という概念を提唱しています。
これは「人に親切にすることで、自分も気持ちよくなれる」という内的報酬を求めて善行をするという考え方です。

つまり、善意の行動の背景には、程度の差はあれど「自分のため」という要素が混じっていて当然なのです。
問題なのは、それが“場の本質をゆがめるほど強くなってしまう”場合です。


■ 利己的関与との付き合い方

私たちが現場で学んだことの一つは、「利己的な関与をすべて否定しない」という姿勢です。
人は誰しも、自分の中に“利他”と“利己”の両方を持っています。
それを冷静に見極め、利用されないように気をつけつつ、「その人の関与が、結果として子どもたちのためになるならば、良しとする」という視点も大切だと感じます。

同時に、現場の運営者としては「場を守る力」が必要です。
過剰なPR目的の関与や、自己利益だけを求めた介入に対しては、丁寧に線引きをし、関わる人の“本質”を見抜く目を養うことも、日々の大切な仕事だと感じています。


■ 最後に

子ども食堂は、善意と現実の交差点のような場所です。
そこには、感動とともに、失望も、学びも、成長も詰まっています。
「誰のために、なぜやるのか」という原点を常に思い出しながら、今日もまた、自分たちの信念を貫き活動していきます。


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